また白い部屋で目が覚めた。 天井の白い蛍光灯が見える。 身体が思うように動かないことに気づく。
首の付け根に傷みを感じる。体は起こせないが、腕は何とか上がる。
どうにかして口元まで手を動かしてマスクを取り、近くの椅子で眠る母に声をかけようとしたが、呼吸器の補助マスクを自分で外したために息が苦しくなりベッドから転げおちてしまう。
高さ80センチほどのパイプベッドから床に肩から落ち、その拍子に腕の血管から点滴の針が抜けてしまい、血が床に飛び散った。
床に這いつくばったままアラームが鳴り続いた後に、看護師がやって来た。
何か怒鳴られながら木人形のように担がれてベッドに置かれ、再び口にマスクをつけられた。
しばらくして 呼吸が楽になる。隣に母がいるのが解る。
きっと泣いているのだろう。目を開けているのが辛くなり、昔一度母を泣かせたことを思い出しながらまた眠りに落ちた。

 

カチャカチャした音を聴きながら目が覚めた。薄く開けた目の先で看護師が点滴を替えていた。
点滴を交換する彼女の動きに合わせて窓からの光が僕の目に届いて眩しかった。
彼女は手際良く新しい黄色を吊るし、空になった透明をポケットに入れ、黄色が落ちるスピードを調節している。
黄色が落ちるのが速くからゆっくりに変わるのを見ていた。
その黄色を炭酸水に変えてくれたらぼやけた感覚もスッキリするのかな。
看護師は役目を終えると何も言わずに去って行った。

窓の外には電線と空しか映っていない、外を歩いたら気持ち良さそうだ。
窓の近くで何か小さく動いた。
置き忘れたボールペンに虫が一匹とまっていた。キャップの上を行ったり来たりしている。
窓の外に出た方が楽しいと思う。 それともそのツルツルした上を滑らない様に歩くのがそんなに楽しいのか。 小さい頃車道と歩道の間の白いラインの上を歩く遊びをしたがある。 ルールは落ちたら地獄に落ちる。 白い線が途切れるとジャンプして届く距離の次の白い線へ。そうやって家まで帰りたいのに、それは家の方に繋がらなくて、理不尽に切れてしまうけどね。

考え事をしているうちにいつの間にか虫は窓の外に飛んで行った。
しばらく窓の外を眺めた。 外の車の音と木の葉が擦れる音を別々に聴いていた。どこかで聞いた事がある。

なぜ僕が入院しているかというと、僕は雨が降る中ふらふら車道にはみ出して歩いて車にはねられたらしい。 その理由でこの無機質で退屈な無人島で暮らすことになった。
しかしその無人島で退屈さと引き換えに、日に日に体力を回復していった。
僕は3日で病院の購買まで歩くことが出来、自分で用を足せるようになっていた。
その前の二日間は地獄だった。
病院で出される食事は全て食べた。
好き嫌いはないが、新人の斬新なイマジネーションで生まれただろう酸っぱくて透明な細長い麺は薬にしか思えなかった。
機械的に回復しながら規則正しいリズムも悪くないと思った。
この白い無人島で僕の血管に"正常な黄色い何か"が流され、中枢で回復する為の指令が出され、絡まった紐がほどけるように問題が改善されていく。

僕の朝は起きて小さなテレビの電源を入れ、ジャックにイヤホンを刺してニュースを聞く。 それから休憩所でタバコと珈琲をして、廊下で会ういつもの知らない老人と見舞いに来た息子役をしながら会話をする。
老人との会話を適当にきり上げてから屋上で本を読み、少し疲れると病室で音楽を聴きながら眠った。
夜はたまに寝れなくて、妹に内緒で頼んだジンを飲んだ。
そんなメンテナンスを1カ月過ごした。

それを打ち切るかのように急に親以外の見舞いが来た。
入院したことを仕事先以外誰にも知らせていないから、見舞いは誰も来るはずもなかった。
来客は僕のベッドに近寄り、ジンジャエールの缶を二つテーブルに置く。

「コンッ」と音がして気付いた。 後ろを向くと、ニヤニヤしているマサが居た。

「ゆうと、大丈夫なのか?」と声をかけてくる。 一瞬戸惑うが 僕は起き上がり、懐かしい話し相手に嬉しくなった。

「大丈夫だよ。来てくれてありがとう。」久々に声を出した気がした。

「いいよ、おそくなってごめんな。」

マサはストールを緩めて、持ってきたパイプ椅子の背もたれに掛け、彼自身もその上から腰をかけた。

「急に来なくなったから心配したよ。連絡無く1週間だぜ?仲間内であいつ飛んだって笑ってたよ。」

笑いながら話す。マサは職場の仲間だ。

僕は溜まったものを吐き出すかのように話した。

「聞いてくれよ。昨日風呂に入れてもらったんだ。とにかく最悪なんだ。泡をつけて擦られ、足りないと直接ボディソープをかけて擦られる。まるで食器になって洗われる気分だったよ。とにかく恥ずかしくて惨めなんだ。食器洗浄機に入った方がマシ。」

マサが笑いながら、

「ネタになりそうだし、どこをどう洗われるか飲み会で使えるようにしとけよ。」

ニヤケ顔で言う。すると急に曇った顔をして、

「高橋いたじゃん?あいつの親が急に店にきて、「辞めさせてもらいます」って言うんだよ。本人は来ず。でまぁそれであっさりやめてさ、それからオーナーはあんまり話さなくなるし、お前のこと聞いても「あいつはしばらく来れない」しか言わないし、どうしようかと思ったよ。で次の日、朝から急にテンション上がってて何かと思ったら辞めた高橋の代わりに新しいスタッフが来週から来るのが決まったんだって。2年くらい経験のあるアシスタントの女の子らしい。高橋の埋め合わせができたってこと。」

「ふぅん。」と、ジンジャエールを開けながら素っ気ない返事をした。別にスタッフ1人居ないなら居ないでそれなりにやれる。それっきり僕が何も言わないでいるとマサは、

「お前もう顔色良くない? 戻って来いよ。あ、でも入院している方がお前は健康的だな。ハハッ。」

嫌味に聞こえないユーモアは頭の回転の速さのおかげだろう。

「早く働いて不健康さを取り戻したいね。」笑いながら話した。

「そうだ、アレ置いとくから食っとけ。俺もう行くから。」

テレビの方を指さしてマサが言った。
そして椅子から立ち上がってストールを巻いてドアを開け出て行った。
もぎ取られたパイナップルがテレビの上に乗っていた。
「高橋と俺なに話してたっけ?」まぁいいか。

その二日後に僕は退院した。

次にマサと会ったのは6月の夜、21時のデニーズだった。

 

「なぁ、なんでデニーズ?」

マサが不満げに聞いてくる。
僕はパリパリチキンサラダを食べながら、

「俺は24時間変わらないデニーズに会いたかったんだ」

と答える。 マサはこちらを見ずコーヒーを一口すすった。居酒屋がよかったのだろう。
僕は遠い目をされながら口の中にパリパリと音を立て続け、マサはマルボロを1本取りだし火をつけ煙をふかした。 頭に何かが引っ掛かった。 最近誰かに同じ事を言われた気がする・・・。
考えているとウェイトレスが白とピンクの縦ボーダーの姿で近寄ってきて、
「珈琲の御代りいかがですか?」と言う。
どこかで、誰だったっけ?確かに言われた・・・。僕は考えていた。
ウェイトレスはお時儀をしてどこかへ行ってしまった。 マサは足を組んでシルバーのジッポをカチッカチッと言わせながら開けたり閉じたりしている。 格好を付けたタバコに火をつける練習でもしているのだろう。

「これからどうする?」 マサは聞く。

「別に何も。」 とだけ答えた。

そこからはマサのバイトの話、彼女や仕事の話をいろいろ聞いた。
特に興味無かった。

最後にマサは、「今度飲み会開いてやるよ。」そう言って、僕らは会計を済ませて外に出た。

金曜の夜だったし今からクラブに行くことにした。マサとは音の趣味が合う。 一緒に行って話をしたり、暇そうな女の子にお酒をおごったり踊りたければ踊り、帰るときには携帯で「出る」とメールを打つだけでよかった。
夜のキラキラと喧騒の間を歩く。

僕らはクラブに着いた。道端に若い男女、並んでから入り口で柄の悪そうな坊主頭の隣にいる鼻にかかった声を出す女から4枚のドリンク券のついたチケットを買いた、中の階段へと下りていく。
足を入れるとそこには暗闇の中を生きた光がカラフルに世界に照らし、天井から甲高いハウスの音が降り注ぎ、ドラムの音が足元を震わせ、その間をピアノの電子音が泳いでいる。 週末ということもあって人で溢れかえっていた。 僕らはいつものように人ゴミをかき分けてカウンターに向かう。他人の身体と擦れる摩擦をうまく調節しながら進む。チケットを一枚ちぎり、ドリンクを頼んだ。 半身でひじをカウンターに付いて酒が出てくるのを待っている間、女の露出した肩や目を黒く囲んだアイメイクされた顔がホールで踊る姿が目に入ってくる。

あの踊り狂う集団の中には将来髪が無くなったり、アフリカに転勤が決まったり、子供を10人産んだり、新たなソフトウェアを開発する天才が居るのかもしれない。酒がやってくる。俺はジンライム、マサは神風を頼んだ。
神風はウォッカとライムジュースの酒だ。いい趣味をしている。マサは髭を生やし、ラフシモンの黒のタイトズボンにレザーブーツ、襟付きシャツ、布タイ。 僕はディオールのデニム、同じ白い2センチほどの蜂の刺繍の白シャツを着ている。
バーテンから酒を受け取り、適当なテーブルについた。
僕らの周りにはいくつもの違うグループが同じテーブルに酒や灰皿を置くだけにしてうまく共有し、後ろの席の女の子に3人組の男が話しかけ、話し声と鳴り響く音がバランスを取っていた。
マサが何も言わずこちらを観る。

「とりあえず、復活おめでとう。」

グラスを持ち上げこちらに近づける。

「大げさだ。」

グラスを合わせる音と周り声が混じりあった。 喉を焼くような冷たさが身体に流れ落ちる。
タバコに火をつけ酒を飲んだ。
そしてグラスが空になるともう一度バーテンに声をかけ、ウォッカを2つずつ頼んだ。
カットされたライムを齧り、僕らはそれを一人2杯ずつ一気に続けて飲み干す。
口の中に一瞬酸味が広がり、その感覚はすぐ口の上から耳の方へ移動してウォッカの通り道を造った後、食道は一瞬にしてウォッカによって焼け野原になる。しばらくしてそれが徐々に治まってくるのを感じていた。
ライムの酸味の余韻とウォッカの消えかけの残り火が仲良く手を繋ぐ香りが僕らの酔いを手伝ってくれる。
マサは顎をホールの方にクイッと向けて立ち上がった。僕も黙って立ち上がる。煙草を手に持ったままホールに歩きだした。
タバコの火が人に当たらないように自分の身体側に向けて歩き、ゴミのような人が集まる真ん中は避け、僕の背より高いスピーカーの前に移動した。
背骨を真後から出る銃撃音に叩かれて煙草を吸う。自分の背中よりも大きな透明なハンマーでリズム良く殴られているうちに骨髄にまで音が流され、女の口に舌を入れたように酔いが体の中心へと溶け始める。
目が何枚ものドットフラッシュを捉える。 はだけた女が踊り狂っている連続写真が見えた。

彼女は目を瞑り薬中が取り押さえられ暴れるかのように踊っている。
僕は彼女を意識の中心に置くように努めた。 しばらくすると彼女と目が合った。
僕が近づくと彼女は微笑んだ。
彼女の踊りを目の前にすると鼓動は速くなり一体僕と彼女のどちらがが踊っているのが曖昧になる。
なにも解らなくていい、ただ今は世界と繋がる糸を切りって自分の心臓の速さで時間を計ればいい。
身体を心臓と同じように動かさないと死んでしまう気がする。

そういえばスペインに行った時、骸骨を音に合わせて踊らせる路上パフォーマンスを見た。あれは何と言うんだろう。表情のない骸骨を生きてるかのようにロックンロールを踊らせていた。彼女の手の平が僕の胸に触れる。僕は驚気を隠すのが精一杯で一瞬息が止まってしまう。
酔いが確実に身体へ沁み込んでいく。
何も考えたくなくなり、ただそうしたいのと同時に、彼女の手を引き寄せキスをした。
していたと言った方が正しいのかもしれない。 彼女は舌を入れてくる。彼女は口を離してケラケラと笑い、僕の首に手を回した。 目が溶けていた。 少し焦点も定まっていないようだった。
僕は両手で彼女の体を離して体を元に戻した。
そしてジーンズのポケットから瓶を取り出して蓋を開け、それを鼻から吸った。
意識が真空になり、時の針は逆に回る。 脳の痺れを感じながら目を閉じていると、彼女はその瓶を僕から取り上げて同じように鼻から吸った。 彼女は笑って、顎を上げて真顔になり、また綺麗に滑り出すように踊り始めた。
長い髪をかき上げながら、骨のない両生類になったように 体をくねらせて踊る。
僕も何枚もの彼女の徐々に狂って行くフラッシュを観ながら踊り続けた。

※※
大きな体育館みたいな建物に大勢の人が詰められ、そこにトラック10台分のテクノとハウスが流され、僕は向かい合う細身の女の子と踊っている。音と彼女は同期され、官能的な音には淫らに踊り、はじき飛ばすような音にはまるで闘っているかのように踊った。カールスコックスのテクノだ。

 

どのくらいそうしていたのかわからない。目を瞑ったまま踊っていると彼女は急に僕の手を引いた。僕はバランスを崩し前のめりになってしまう。そんなことはおかまいなく彼女は右腕を引っ張りフロアーを抜け、ぐんぐん進み、ロッカーに向かうその通路で僕の首を抱き寄せてもう一度キスをした。両手で頬を持たれ、彼女の汗でじっとりした胸が肋骨に当たる。これは現実ではない。知らない女に人が見ている通路で必死に唇をむさぼられている。 まるで酸素が僕の中にしか無いように。 キスをしながら横をみると、マサが赤とオレンジの花柄のTシャツを着た女と顔を近づけて一緒にこっちを見て笑っている。 キスをしながらフランスのクラブで髪を切った日のことを思い出した。 僕はクラブで男の髪を切ると、その男の彼女が喜んで僕に近づいて「お礼があるわ!」と言いトイレに連れて行かれた。 トイレットペーパーの器具の上に細長い白い粉があり、一瞬何か解らなかった。僕は理解してその感謝を鼻から吸った。深呼吸をして世界が変わる。 本能に触れる為の条件をフランスのあるブランドのデザイナーに聞かれた。
「本能を起こすにはドラッグ、セックス、あと何だと思う?」 もったいぶるようにそいつは話した。
「殺人だ。」 僕は頭の中でその言葉を思い出しながら生き残るためにキスをしていた。 そして彼女は笑いながら、両手で僕の胸を押して身体を離した。
「アナタ一体何なの?」
彼女は僕の両手をつかみ、腰を折って笑っている。
「知らない。そっちそ誰なんだよ。」
「ふふっ。あたしは人形よ」
現実の言葉ではない。糸が切れる。

「そうだ、そうやって甘いものを作るんだ。異常な時にしか本当は見えない。」 いつの間にか猫が居た。
一瞬 猫と彼女が重なる。 「こっちに来て。」 猫はもう見えなくなり、僕は促されるままに黙って彼女についていくしかなかった。
これから何か起こることだけはわかっていた。

君は今何をしているのだろう、もし生きていたら。

僕の頭の中で、僕と同じものを観ているのだろうか。

なのに、会う約束が出来ないのは何故だろうか。

どうして僕の独りを辛くしたのか。

 

そうやって、目が覚めた。

風がカーテンがひとりでに動いている。意識がはっきりしている。

まだ暗い。4時過ぎだ。

窓から雨が入ってきている。知らぬ間に雨が降っているようだ。

遥はまだ眠っている。

からしばらく通りを見降ろしてみる。

何もかわらず、ひっそりと景色は佇んで、それを雨が叩いている。

僕は窓を左から右に窓を閉め、二つを丁寧に重ね合わせる。

そして鍵となる取っ手を横から縦にし、隙間が生まれないようにうまく密着させる。

雨の音は弱くなる。

外の音は雨が柔らかく窓を叩くだけになった。

ベッドには枕に顔をうずめた遥がいる。

傍に行って、聴こえるのは心地のいい寝息の音だ。

彼女の顔を観る。遥は生きれない、僕は生きれる。

気持ちの移動が出来ているのは遥なんだ。

僕にはここにいる理由がわからない。

気付いてしまったことから逃げることなんてできない。

つまり僕は死んでいるのだ。

ここで何かを残そうとも思っていない。

決断が出来ずにただ下を向いて歩くような毎日で、

ソレを悟られないようにしている、

ただソレだけの、意識を吊るされた、

規則正しい温度の人形なのかもしれない。

そう思っていると、また眠りに落ちる。